Wonder JAPAN

いま日本が面白い。 なぜか古いものが新しい。風景の中に未知の日本が見えてくる。

第4回 天皇の謎 1700年続く世界に類例をみない王家の謎

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日本の正史として日本書紀がある。この書は天武天皇が発し奈良時代持統天皇藤原不比等によって完成された。したがって当時の権力者の意図に添って編纂されているのは言うまでもない。概略は、天地開闢、国産み、神産み、アマテラスとスサノウ、天の岩戸、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)、ニニギの降臨、初代神武天皇と神話の記述が続く。

 

最近の歴史学や考古学の研究によれば、3世紀頃、各地の部族の連合国家として大王(後の天皇)を抱く大和が成立したらしい。どうも初代の神武天皇とその物語は、実際には後代の崇神天皇応神天皇の物語と重複して編集されているようだ。記録によれば崇神天皇の世に大変な伝染病が流行したらしい。これを崇神天皇はカミの祟りとして三輪山に出雲神大物主(オオモノヌシ)を祀った。祟りの原因は、大和朝廷が、連合国家の成立に貢献した出雲を裏切ったことらしい。そして出雲系の神功皇后の子、応神天皇を向かい入れた。という仮説があるのだ。

 

つまり当初の政権では、森羅万象のどうすることもできないパワーである「祟り」を封じ込めるためには、カミとつながりのある強い霊的パワーを持つリーダーを必要としたことだ。これが日本独自のリーダー、天皇を抱くことになった理由なのかもしれない。神話では神武天皇は九州から奈良に入り、戦闘では敗退するが、熊野方面へ迂回して霊的な呪術で奈良入りを果たした天皇である。事実は定かではないのだが、この辺りに日本独自の霊的な王制、天皇制の発祥のカラクリがあるに違いない。

 

天皇とは、縄文時代から続く森羅万象に満ちるタマ(=カミ)につながる霊的リーダーであった。現代でも行われている天皇の即位の儀式、大嘗祭(だいじょうさい)では、新しい天皇天皇霊(タマ)を受け継いでいるのだ。天皇も繁栄や零落の時代を経験してはいるが1700年もの間存続している。このことは、天皇制が成立している基盤が、ただ単に政治的、社会的に成立しているのではなく、もっと本質的な、宇宙、自然、世界の霊的支配者、いわば大自然を支配する「カミの王」と結びつくとともに、怒らせると大変な祟りがあるかもしれない。という霊的パワーを持つ存在と認められているからではないだろうか。

 

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第10回 エピローグ

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◎なぜ、日本の街は清潔できれいなのか?
カミから幸(サチ)をいただくためには、身体と生活環境を常に清浄にする必要がある。穢れ(ケガレ)をカミは最も嫌らう。伊勢神宮の20年ごとの遷宮のように建物を建てなおす習慣がある。すべてが常に新しくよみがえるシステムとなっている。スプーンやフォークは他人が使ったものでもOKだが、箸はみなさん気になりませんか?

◎大震災がきてもなぜ日本人は秩序正しかったか?
日本人は森羅万象の出来事の中に自分が含まれている感覚を持っている。大震災というカミの行為を憎まない。むしろ自然のルールに参加するのが日本人だ。これを受け入れて真面目に対応しないと、カミからのサチは期待できない。

◎日本人はなぜ親切なのか?
見ず知らずの人を歓迎するDNAを持っている日本人。日本の民話には、旅人をむげに扱って不幸になる話が多い。旅人はカミなのだから。マレビトと言う。カミを粗末に扱うとタタリがある。

◎なぜ日本の政治はだめなのか?
過去の日本の政権で本当の意味での民衆に対してリーダーシップを執った政権は皆無だ。自分たちの利害を求めて天皇の周りをぐるぐる回っているだけ。「和をもって尊しとなす」が主流だが、和の道が正しいとは限らない。織田信長はそれを超えようとしたが殺された。勤勉な民衆の生きる知恵が国と生活を支えた。

◎なぜ日本製品は優秀なのか?
手抜きは罪。仕事はカミに仕える(事に仕える)ことである。したがって、日本文化の中では仕事は労働ではない。みんなの役に立って、はじめてサチ(対価)がやって来る。基本的には現場主導だ。日本の現場のリーダーには優秀な人たちが多い。ボトムアップと課題解決の工夫に尽きる。特に持ち前の「見立て」アナロジー思考を活かした工夫や、微妙な美を感じる感性とディテールまでこだわるものづくり志向が品質を向上させている。

◎なぜ日本のポップカルチャーは面白いか。
源氏物語絵巻など絵画での物語表現や、奇想天外なからくり人形など伝統に基づく表現は、現代のポップカルチャー、漫画やアニメからフィギュアにまで通じている。同時に現代の「萌え」も「もののあわれ」「ワビ、サビ」につながっている。また現代の表現には、伝統的技法である「省略」や「見立て」、江戸時代の「モドキ」を伴った自由なポップな感覚など伝統表現のDNAが生きている。表現の中にカミが参加すること、これが日本流だ。

 

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第9回 究極の秘密 「稜威」(イツ)

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日本の古い言葉に稜威(イツ)がある。

 

この言葉は剣術の免許皆伝の書や、神社の宮司祝詞に登場する言葉だ。また世界遺産、宮島の厳島神社のイツである。一般的意味は「畏れを感じる見えない力」霊的威力のことだ。目に見えない彼岸からのパワーである。森羅万象のタマたちの世界でヒトも一個のタマである。このタマに究極の威力あるタマを呼び込むことでスーパーな力を発揮できるのだ。

 

ミクロネシアなど南太平洋地域には、マナと呼ばれる森羅万象に遍在する超自然的な力があるそうだ。沖縄ではこれをセジと言う。民俗学者折口信夫は『若水の話』のなかで「柳田國男先生は、マナなる外来魂を稜威という古語で表した」と書いている。

「吾々の祖先の信仰から言ふと、人間の威力の根源は魂で、此の強い魂を附けると、人間は威力を生じ、精力を増すのである。この魂は外から来るもので,西洋で謂うところのまなあである」(大嘗祭の本義)そして折口信夫は日本の神道はマナ信仰の最高峰であるとした。

 

このマジカルな力「稜威」こそが、日本の古層の文化の底流に流れ、現代にも生き続ける「日本の何か」ではないだろうか。稜威は天皇霊とも言われ、確かにこの稜威の力で天皇は1700年もの間続いているとも言える。この稜威のはたらきによって日本人は独自の文化を作り出してきたのだ。

 

人間は此岸に生きている限り限界がある。したがって常人は自分がイメージできるものしか実現できない。神業を成す人、名人と言われる人は、カミのいる場所、彼岸をイメージできるのだ。彼岸へ自在に往き来して、彼岸のエネルギー稜を此岸へ持ち込める人が名人なのである。

 

名人とは稜威を心得た存在である。自らのタマに、威力あるタマをつける。これにより作られたものには、名人自身のタマと彼岸から要請したタマが宿っている。稜威がしかけられた作品は、いつまでもパワーを発揮し続けることになる。名作の誕生である。これが日本の究極のものづくりなのだ。

 

フランスの文化相を務めた哲学者アンドレ・マルローは、耽美眼、いわゆる目利きと言われた人である。日本にやって来て東京の根津美術館で「那智滝図」に出会って感動している。早速、熊野にある本物の那智の滝に出掛け、この絵の描かれた視点を探し出してじっくりと滝を眺めたのだ。彼は自然の景観の中に「稜威」を認めたそうだ。

 

名人と言われる庭師は、庭を作るにあたって、まず石を立てる。この立っている石によって隠れている彼岸の自然が立ち上がるのだ。彼岸のパワーが此岸に現れるのだ。これが神業たるゆえんである。龍安寺の石庭に臨んで稜威を見つけてみよう。

 

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第8回 タマとカミの文化 日本文化の特異性

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本稿の論旨を整理すると、まず日本列島に北方、南方、大陸から移り住んだ人びとがそれぞれ部族を形成し、列島の文化に同化していった。山岳と森林に覆われた列島の風土は、美しい四季の変化、サチをもたらす豊壌な自然とともに、火山、地震、台風襲来など生存に驚異をもたらす自然でもあった。縄文時代1万年の間、人びとはそんな森羅万象の中に「タマ=カミ」を見出し共に生きたのである。ここに日本独特の基底の文化が醸成されていったのだ。カミは一つ間違えば大きな祟りを引起こした。人びとは恐ろしいカミの怒りに触れないために祭を催しカミを祀った。

森羅万象のタマたちは、樹木や岩、動物たちを容れ物として宿っている。もちろん人にも宿った。中でも強力なタマ(=カミ)の機嫌を損なうと恐ろしい祟りが社会や人びとを襲うことになった。天変地異や疫病の蔓延、関係者の死などである。人びとはタマを祀った。当時のタマは、人びとの身近な土地のタマ、山や森ののタマ、祖先のタマなどである。タマは思慮深い人格者となどではなく、むしろ欲深い暴れ者と考えたほうがよい。祭はこれらのタマのご機嫌を取り、祟りを防ぎ、サチをいただくおもてなしを行うことである。これが随分古い時代から人びとのこころに刻み込まれる文化となった。この文化は歴史が下っても綿々と続いていったのだ。

歴史上の人物で不遇な死を遂げ、祟たるカミとして特に著名であったのは、京都北野天満宮に祀られている菅原道真、東京神田明神に祀られている平将門、讃岐に流され明治になって京都白峰神宮に祀られた崇徳上皇、大分の宇佐八幡宮や大阪の住吉大社に祀られている神功皇后である。しかし驚くべきことは、私たちは生きている天皇をその祟りを畏れサチをいただくために神々の代表として祀っていることなのだ。

天皇は、自らの身体(容れ物)にタマ(天皇霊)をつけることにより「天皇」となる。日本書紀は、天皇を日本神話の中で天照大神素戔嗚尊からの系譜を綴り、神武天皇を初代としている。それはともかく古い時代のタマの文化を天皇霊の継承として綿々と1700年間受け継いでいるのだ。織田信長など有力な権力者が天皇を否定しようとしても、畏れ多いこととして天皇は存続してきた。明治維新は、天皇のアイコンである錦の御旗が導いたのだ。天皇は日本の此岸と彼岸を繋ぐ基底文化なのだ。日本人の無意識のこころの奥底に古い時代のタマの文化、祟りの文化が存在し、そこに天皇が繋がっているからこそ日本人は天皇を支持し世界にも類例のない王制が続いているのだ。

日本の統一国家の形成は、大王(おおきみ)を擁して3世紀に成立する。大和朝廷である。そのいきさつに関する仮説は前述したとおりだが、当時の人びとにとって国家の成立で此岸と彼岸が混じり合ったタマが満ちた世界は終わりを迎えたと思われる。人間の王に支配される時代が始まったのだ。多くのカミが再編成され、現代にも続く八百万のカミの時代となっていく。現代の有名な神社の大部分はこの時代に再編成されたものだ。それまで主流だった縄文時代から続く土地に根付いた多くの小さな神々は淘汰されていった。零落したカミに使えていた多くの神人たちは、職を追われホカヒビトとなり自分たちのカミのメッセージを伝えるため旅の人生をおくった。カミの言葉は、彼らの工夫が凝らされた歌や踊り、物語となり日本の芸能のルーツとなっていった。

さらに旅を中心とする生活は、山の文化とも融合しながら鍛冶、製薬、大工などの技術を生業とする職人たちを育てていった。歴史上、技を形成した人びとの中から殺人の技である武芸を極めた「もののふ」と呼ばれた武士や、各地の製品を集めて販売する商人なども現れた。旅の生活者は、里の生活の周縁に位置し、此岸と彼岸の境目に生きること意味していたと思われる。一方で農業を生業とする里の人たちは、村を形成しカミに豊作を祈るため氏子として祭の実行組織をつくりカミをもてなす文化を形成していった。

なかでも1万年続いた縄文人たちの「タマ」=カミと共存した文化の種子が、日本人の感受性や生き方に無意識のうちに現代でも生き続けているのではないだろうか。その種子は、時代ごとのに花を咲かせてきたのだ。中世では「能」や「作庭」「茶道」「華道」などを完成させ、近世では「歌舞伎」「浄瑠璃」「俳句」などにつながっていく。どの時代にも天才的な名人を排出してきた。彼らは此岸から彼岸のエネルギーを採り入れ、つまりカミを要請して自らの作品を完成させていったのだ。日本人のこころの中には、古い時代に獲得した自らの存在を超越する仕組みが組み込まれていたのである。

日本のアニメやマンガは現在、世界中から好評を得ている。その国際的な展示会を訪れた時、人気キャラクターのフィギュア作家に出会ったことがある。それはそれはかわいい少女のフィギュアであった。これを作った彼が、彼女をちょっとタッチしたとたん、彼女は一瞬の内に口が耳まで裂けた鬼女に変身した。これはなかなかの衝撃であった。「浄瑠璃人形みたいですね」と尋ねると、彼は全く知らないとのことだった。このことは作者の無意識のこころの働きの中に、伝統的な文化の種子が生きていて現代の浄瑠璃人形を創作させたといえるのかもしれない。

 

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第7回 彼岸と此岸の分離 国家の発生で失ったもの

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現代人は誰もが国に属している。国には元首がおり、国家は国民を支配している。国民は一定の権利と義務を持ち国家に帰属している。現代人は誕生から終末まで国家に支配されているのだ。これが人々にとって当たり前の世界、常識の世界となっている。
 
人は一定の年齢になると教育を受ける。教育では社会に有用な知識が優先的に教えられる。大部分の国民は、教えられたことに疑問を持たず一定の世界観、常識世界を共有し大人へ成長して行く。しかし人々が自由や真理、芸術を目指す時、少し様子が変わってくる。常識世界を超えて行くことが求められるのだ。赤いリンゴは常識的には赤いリンゴという言葉(記号)で表される実体だ。しかし人はリンゴの赤の世界に入って行くことも可能なのだ。この赤の世界を追求して自分の世界を築く人がいてもかまわない。まあ、リンゴが認知できないようでは日常生活も心許ないかもしれない。現代人は、リンゴを認知し、ミカンと区別することで日常を過ごしている。記号を組み合わせたり、分けたり、付け加えたりして左脳的な安定した世界観を形成している。常識の形成である。
 
古い時代では、リンゴはいまの単なる食べ物としてのリンゴではなく、赤の世界の中にリンゴのタマ(魂)が宿っているリンゴであったのだ。同様に生と死が現代のように分離してなく、過去と未来、人と動物の関係性も分離していなかったようだ。従っていまを生きている家族も霊を通して先祖と繋がっていたし、猟師と熊も繋がっていたのだ。この彼岸と此岸が渾然一体となった現代では見えなくなっているダイナミックな空間を、古代人は生きていたのだ。分かりやすくいうと、仏壇は家族にとって、あちらへ行った先祖の霊の出入口である。神棚は、カミの世界への出入口である。この出入口を通してあちらの霊(タマ)が実際に出入りしていたら、と考えてみるとリアルに古代人の世界が見えてくる。
 
いわば古い時代の人々は此岸と彼岸を同時に生きていると言ってもいいかもしれない。同時に豊かであり恐ろしい森羅万象とも共に生きていた。このことは人々にとって日常生活は自由であるとともに大変な脅威とともに生きることであったのだ。大自然の脅威、外敵からの防御などにいわば身の安全を求めた事が、王を抱く国家の成立に繋がっていく。大自然の中にあって見えないタマ=カミとしての存在する人智を超えた森羅万象の王が、タマと象徴的に繋がるとはいえ生身の人間が王となった時、国家が成立したのだ。
 
日本的な王権である大王(天皇)とは、豊穣と恐ろしい祟りをもたらす自然の王を人間化した存在として成立したのだ。これにより人々の世界に重大な変化がもたらされた。生と死が分離され、森羅万象の轟も消えたのだ。これにより人々は以前の自由を失うかわりに、森羅万象に漂う恐怖から一定の解放が可能となったのである。国家成立後の社会は、生と死が交わる時をもてるのは、祭の時空と、シャーマンや芸能の時空に限られることになったのだ。

 

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第6回 古層のカミ シャグジ(宿神、守宮神)

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信州諏訪に諏訪大社がある。この地方は縄文の狩猟文化をいまだ色濃く残している。諏訪大社で六年に一度行われる御柱祭(おんばしらまつり)では、森から大木を切り出し、氏子たちが、その大木に跨がって山を滑り降りる神事が執り行われている。タマの宿った巨大なご神木と男たち、狩人の勇気がこの祭の真骨頂だ。この祭では夥しい鹿や猪などの森のサチがカミに奉納されている。

この地方には塞の神(さいのかみ)、道祖神などが里ごとに多く祀られている。実はその中にシャグジと言われる名もない古層のカミが含まれているのだ。シャグジは端的にいうと樹木の聖霊らしい。ジャグジは彼岸からやって来て人びとの技・技量を助けてくれるカミと言われる。現代でもシャグジは、芸能や職人のカミとしての形を変えながら生き残っている。能楽のカミはシャグジであり、刀鍛冶などが祀るカミもその古くはシャグジに違いない。

シャグジの御神体として祀られているのは陽根状の石である。このカミは、縄文期のカミらしく生殖に関係するようだ。諏訪から名古屋方面に行くと恵那市がある。恵那とは胞衣(えな)、胎盤のことである。人は、外界に閉ざされた子宮の中で十月十日を、じ っと過ごし成長する。これは前述した折口信夫の「容れ物があつて、タマがよつて来る。さうして、人が出来、神が出来る」ことと同じではないか。この地方では今でも子どもが誕生するとこの胞衣を模した扇子と綿で作ったオブジェを神社に奉納しているのだ。今ではほぼ忘れられたシャグジというカミが、日本書紀古事記にあらわれる有名な八百万のカミたちの古い形を示していることは興味深い事実だ。

 

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第5回 神々の伝承 日本的技芸のはじまり

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古代には土地ごとに多くの有力なカミがいた。そのうち神々の戦い(部族の勢力争い=国家成立のプロセス)が始まり、大和朝廷が奉ずるカミ、アマテラスを中心に八百万の神々が再編成されて行く。この過程で敗れた神々を奉じていた多くの人びとは流民(ホカヒビト=乞食)となって流浪の人生をおくることとなった。ホカヒビトは、自分が奉じるカミのメッセージをより効果的に旅先の村々に伝えるため、また自らの食い扶持を確保するために、歌や踊りなどに仕立てて自らの技芸を高めていった。これが日本の芸能の発生に繋がって行く。
 
民俗学者折口信夫は、柳田國男との対談の中で、自らが提唱したマレビトについて
「何ゆえ日本人は旅をしたか、あんな障碍の多い時代の道を歩いて、旅をどうして続けていったのかというようなところから、これはどうしてもカミの教えを伝搬するもの、神になって歩くものでなければ旅はできない、というところからはじまっているのだと思います」と語っている。
 
日本文化の特徴としての独特の創造性や、ものづくりのルーツはどうやら「ホカヒビト」辺りにあるようだ。カミのメッセージを伝える工夫が、様々な演芸となり、新たな技術となり、ひとつひとつが磨き抜かれて行くのだ。そのために彼らは日常世界を超えた感性を求めた。古い時代の此岸と彼岸が合一した世界からエネルギーを取り込む必要があったのだ。いわばカミの力を動員することであった。ものづくりの過程の極限で、彼岸からカミのチカラを要請できる人たちの伝統が、匠や名人の登場につながっていったと思われる。
 
此岸から彼岸のエネルギーを要請してスーパーな力を得るメカニズムがある。これこそが日本の秘密の一つだ。天皇は自らに天皇霊をつけることによって霊的パワーを獲得する。また寺院の本堂にはご本尊が祀られている。参拝者はこのご本尊を拝むことになる。さて、ご本尊の裏側に回ってみるとその空間には何だか変なカミが祀ってあるのだ。後戸(うしろど)のカミという。後戸のカミは諸仏の背景の空間にいて、電源プラグをコンセントにつなぐように彼方のエネルギーを諸仏に送り込んでいるのだ。これによりご本尊は参拝者の願いを叶えられるのだ。
 
さらに能楽では、その原点である深遠なカミとしての翁の世界や、過去と現在、死霊と生霊、彼方と此岸が混在した能独自の時空表現、複式夢幻能とは、もしかすると此岸と彼岸がメビウスの輪のようにつながったタマの文化の投影そのものかもしれない。能は生体(此岸)を死体(彼岸)に近づけて行くことで美的超越をはかり鎮魂する芸であり、また歌舞伎は死体(彼岸)を生体(此岸)に復元することにより身体の感性的極限を身振りを通して行なう芸であると言われている。
 
さらに、一族に繁栄をもたらす旧家の奥座敷に伝わる座敷ワラシの世界、狩猟民文化をいまも残す諏訪宗教圏のシャグジ信仰、これらの共通点は人が生きるためには、森羅万象の奥の奥から霊的なエネルギーを引き出すことが必要不可欠であることを示すものではないだろうか。これらには縄文以来の古層のカミ、シャグジ的世界が垣間見られるのだ。幸せの条件が、自由であることや創造的であることが不可欠であるとするならば、この神話的メカニズムを現代でも大いに役立てるべきではないだろうか。

 

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